私はこういう人間

私はこういう人間だと自分で自分を定義づける。誰がそんなことやるかと思いながら、結局誰もがやる思考的な行為。
決して明示的でなくても暗示的についついやっちまう。たとえば、着る服がいつも似た感じにならないかい、その癖はいつから身についた、その口調は何のため。
要するにそういうこと。

自分が好きなもの、自分が好きな人、自分が嫌いなもの、自分が嫌いな人、すべてが自分を定義づける。
要はそれを言語化するかどうかということ。言語化すれば、それは明瞭な定義になる。しかし言語はそう十全ではない。どうしたって抽象化されたものにしかならない。
そうすると抽象化されて単純になった定義にもともとの本質がずれてくる。
新たに単純になった自分、それがイメージ化された自分になる。
イメージとは他人が自分にしてくるのではなく、自分が他人のために行うもの。
ウサギが狼から逃げようとして、自分の足跡を地面に残し、狼に追いつかれる。
ウサギは狼の鼻を呪うかもしれない。しかしウサギは逃げることで追いつかれるための痕跡を残す。