ぷらいばしー

ぷらい、バシィィィ!!


いや別に意味はありません。


古典的な定義ではSD Warren & LD Brandeisによる「The right to be let alone」って言われている権利ですね。直訳すると、そんな権利いらないやい、って思える権利なんですけれど、この場合のaloneは多分孤独という強い意味よりは「ひとり」っていう程度の軽い意味でしょう。
つまり、放っておいてもらう権利ってところでしょうか。


人は誰しも一人でいたいときがある、って言うのはなんとなく直感的に理解できます。でも、アリストテレスが言ったようにポリス的動物でもある。ん?ポリスって?んーと、言うなれば「社会」のことでしょうか。


社会に生きる動物なんですね人間は。社会に生きるということは一人ではありえないという意味でもある。まあ、誰かにおんぶに抱っこの人生ですよね。経済的に自立って言うのも、まあありえない。経済というのは他人と価値を交換することで成立するから、自立的には存し得ない。まあ、どっかの孤島で自給自足していれば少なくとも経済的には(正確にはoikos的には、かな?ギリシャ語のスペルなんか忘れたな)、自立していることになるんでしょうけれどね。


じゃあ、どうせ社会的に生きているんだから、それだったら一人でいる必要なんかはどこにもないんじゃないのって感じもする。でも人間って免疫やたら強くない?
どうせ同じ人間なんだから、臓器移植ももっと簡単でいいような気がしない?
どうせ同じ人間なんだから、その仕事他人がやっても良くない?
どうせ同じ人間なんだから、誰とセックスしても問題なくない?
種は保存されんだからさ。

って、わけにもいかないのが人間。
社会的にあるというのは、突き詰めれば蟻と同じ。すべての個体は主のために存在し、役割だけがあればいい、女王蟻ですら、産卵という役目を持つ存在に過ぎない。蟻の社会は擬人化すれば、ただのファンタジーになる。決して人間社会の比喩にならない。


人間は本質的にプライバシーを望んでいる。自分の脳が唯一無二の存在であることを望んでいる。繋がりたいのは自分の脳が独立してしまっているから。独立していることを望むが、独立していることは生存レベルでも感情レベルでも不合理だから。


まあ、そんなこんなで、自分の部屋の確保、これだけは譲れない。