差異に基づく情緒不安定
なくのはつらいけれど、
泣きたい気持ちでいるのにもかかわらず、なんだかなけないようなムードの中にいるなぁと思ってしまう状況もつらい。
そして何でこんなつらい状況に追い込まれているのかと考えるともっとつらくなる。
で、昔からの友人にあったりして、つらいって思うからつらいんじゃないかな、なんて開き直りめいた発想の転換をするんだけれど、やっぱりつらい状況に追い込まれているような気がしてつらい。
畜生、こんなにつらいのはあいつのせいだと思った矢先に、そいつがつらそうな顔しているのを見てしまい、なんか同情してしまう。
そうだな、みんなつらいんだ、それでもがんばっているんだと思っていたら、どうでもいい相手にふと馬鹿にされている自分を見つけ、どんなにつらい人でもこういう風に馬鹿にはされないだろうよ、おい、とか思って、なおさらつらくなる。
んで、そいつが妙に周りに人気があるもんだから、なんかまた腹が立つ、つぅか追い込まれる。
まあ、要するに私の居場所はどこなのよ?って感じだ。
だから、ここで一人でいれる時って結局一番いい時間なのかもしれない。
客観的には辛そうに見えるかもしれないけれどね。
だからといって、これが幸せだとは思わない、思いたくもない。
心配かけてる?心配されていることが迷惑なんだ。
でも、心配してくれている人にそんなこと言えるかい?
他人の心配してくれている目がつらいんだよ。
え?心配してくれているって幸せだって?
そりゃ分かっているよ。
でもね、なんだか無能扱いされているみたいでさ。
分かっているって、そういう風に思っていないってことは。
ただ、自分にとっていやなだけ。
ああぁ、お酒飲みたいなぁ。
うん、そうしよう。
帰りにコンビニ寄ろうっと。